ビジネスマンには4つの武器があります。
「目」と「耳」と「舌」と「指」です。
すなわちコミュニケーションの4つの表現である、
目…読む
耳…聞く
舌…話す
指…書く
の4つです。
恐らく私は今年、大阪大学で講座を持つことになるので(内定ですが)
工学部の大学生に、
ビジネスマンの「目耳舌指」
の有効活用を教えたいと思います。
私自身がやってきたことを整理しているところです。
コミュニケーションは大切だといわれます。
しかし上に上げた4つのうち、1つだけ異質なものがあります。
それは何でしょうか?
それは「指」です。
書くことです。
これだけは他に突出して
意志の力
が求められますし、準備が必要です。
読むこと、聞くこと、話すことは、書くことに比べるとまだ容易でしょう。
もちろん、これら3つにも深いテクニックがありますが
ページを開けば文字が飛び込んでくるし
耳栓をしない限り人の声が聞こえるし
よもやま話を語れます。
しかし、書くことには「勇気」が必要です。
孤独な作業でもあります。
自分自身との対話こそが「書く」プロセスです。
コミュニケーションの本質は、実は他人とのコミュニケーションではありません。
自分自身とのコミュニケーションです。
自分が心の内に沈めてしまっている「本当の自己」との邂逅です。
小児科医でもあるイギリスのウィニコット博士(故人)は
「独りでいられる能力」という言葉をしばしば使います。
「独りでいられる能力」
この言葉は簡単な表現でいうと単に
「孤独」
ともいえます。
孤独とはマイナスイメージです。
孤独を避けよ、友達を作れ、といわれます。
しかし本当にそうでしょうか?
孤独でなければ、本当の創造的なものは生まれません。
ウィニコット博士はそれをごく小さなときの母子の関係に求めました。
人間の自立のプロセスには
依存 → 自律 → 自立
という段階が必要です。
必要な時期に必要な「依存」の時期が欠損していると
その子どもはうまく自立できないといいます。
それは、
最も信頼できるお母さんのそばで独り遊びをする
という経験がベースになり
その上で、たとえば「お母さんがいない状態での独り遊び」に発展していく。
しかしそのときの子どもの心にはお母さんが住んでいます。
心の中でお母さんとつながっていることが
「独りでいられる能力」
のベースになっているとウィニコット博士は言います。
なるほど、と思います。
つねに携帯電話でつながっていなければ安心できない現代人には
耳の痛い話かもしれません。
携帯でつながっているようで、
逆に「孤独」の根が深いのかもしれません。
「独りでいられる能力」の欠如が進んでいるのかもしれません。
「独りでいられる能力」はまた「意志の力」でもあります。
周りが反対しても、
面と向かって自説を主張できなくても、
「俺の気持ちはこうだ!」と信じられる能力です。
自信です。
自らの判断を信じる力、これが「自信」です。
私たちの園ではお母さん方のサポートをし
子どもが本当に安心してくつろげる「場づくり」を行います。
昼間働いているお母さんに代わって
必要な依存
必要な自律
必要な自立
のプロセスを経て、たくましい子どもに育ってほしいと思います。
書くことについてもそうです。
先ほど触れたように「書くこと」が最も大変で、かつ重要です。
ビジネスマンは書けなければなりません。
話せるだけではいけないのです。
では文章がけ書けるようになるにはどうしたらいいのか?
「早く、早く!」とあわてて文字だけ指導しても
小学校に入って作文が書けずに困っている子どもがいると
ある小学校の先生が話していました。
単語をたくさん知っていることと
それを文章にまとめられることには大きな隔たりがあります。
将来的に文章が書ける子どもになってほしいのです。
私自身がそうです。
講演しているだけではだめでした。
自分の主張を本に書いたときに(というか小冊子)
はじめて世間から認知されました。
書かねばならないのです。
では子どもにはどのようなステップを踏むのか?
それにはとにもかくにも「絵本が大事」と南部園長は話します。
いわゆる「絵本暦」です。
その子どもがどのように「絵本」と関わってきたかが重要だと。
絵本は「読み聞かせ」です。
「子どもが自分で読んでいる」それもいいことかもしれません。
しかしまずは大好きなお母さん、お父さんの膝のぬくもりとセットです。
いやむしろ、膝のぬくもりの方が重要なのでしょう、最初は特に。
「絵本の時間は大好きなお母(父)さんの膝の上だ!」
そうして絵本が好きになります。
絵(イラスト)の力を借りながら
子どもは想像力を膨らませていきます。
「イメージできる力」です。
南部園長はこの「イメージ力」を極めて重要視しています。
イメージする力は生きる力だと。
「イメージ力は人生をシミュレーションする力です」
と園長は話します。
子どもはやがて「絵(イラスト)なしの絵本」の読み聞かせでも
十分なイメージ力を発揮するようになるでしょう。
やがて大人数でのお話(素話:すばなし)でも
みんなで時間と物語を共有しつつ、イメージの世界で遊べます。
すばらしいことです。
こうなれば子どもは自分で本をめくるでしょう。
大好きなお母さんのそばで独り本をめくったあの体験。
それが後につながるのです。
文章を書くには、多くの読書が必要です。
本にたくさん接すれば、自分の文章のスタイルが出来上がってきます。
まねればいいのですから。
私は若い人にいいたいのです。
早くから文章を書く訓練をしてほしい、と。
大人になると、だめです。
みな書くことをあきらめています。
実はそんなことはないのです。
へたくそでもいいから、書けばいいのです。
書かない限り、書けませんから。
まあ、それはともかく…
書くことは孤独な作業です。
読む・聞く・話す・書くという4つのコミュニケーション能力の中で
最も「独りでいられる能力」を必要とします。
だからこそ、文章の書ける子どもになってほしいのです。
書ける子は必ず社会で活躍できます。
話すことが苦手でもいいのです。
インターネット上に文章が書ければモノが売れる時代です。
まあ、そういったことを私は
大学にて教えていこうと思います。
追伸:
「イメージ力」は本当に重要です。
人の心を自分の心に投影できる力です。
人の痛みを感じることができる力です。
新聞で読んだのですが、ある弁護士の話です。
「いじめ問題」と「セクハラ問題」は似ていると。
どちらも密室で行われる。
加害者と被害者の証言が食い違う。
解決が難しいと。
だから最も有効な対策は
「予防」
しかない、と。
すなわち、人の心の痛みを「共感できる力」を養うこと。
こうされたら嫌だな、
ああされたらつらいな、というイメージ力の涵養です。
今最も教育現場で必要とされていることです。
そしてビジネス社会においては
最も切れ味のいい「武器」になる力でもあります。